建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

『茶の湯空間の近代』の読み方 その1

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その1

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要(現在のページ)
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■第一章 茶の湯空間の近代、その概要

第一章は茶の湯空間についての概要を記した部分である。本書は学術書であり、本来はその分野全体を見わたす概要などというものは不要であるかも知れない。しかし茶の湯空間の研究者は極めて少ない。また日本建築史あるいは近代建築史を専門とする研究者においても茶の湯空間について理解している人は極めて少ないと感じている。
そのような現実を踏まえ、筆者は出版社に次のような話をした。私の専門分野についての書籍、一体誰が読むのでしょうか。この本をしっかりと評価あるいは批判できる人はいるのでしょうか、と。出版社の方は少々困った顔をされたが、幸いにも日本学術振興会から科研費を頂いて執筆することが決まった。少なくとも日本学術振興会において評価されたということで、私の分野を理解あるいは批判できる人がいるんだと、少し胸をなで下ろした。

じつはこのような事態は、ここ20年ほどのことだと思われる。本書にも一部扱っているが、昭和から平成のはじめの頃までは、建築史研究者はもとより建築家たちにおいても、茶の湯空間についての知識は常識の範囲内であって、多くの方々がそれについて侃侃諤諤と意見をたたかわしてきた。なぜか近年極端に減少したのである。
一方で近代建築は空前のブームである。しかし茶室を熱く語っていた建築家の作品を茶室について知らない人が論じる。あるいは具体的な茶の湯空間が備わった民家調査を、茶の湯空間を御存知でない研究者や建築士の方が携わる、といった事態が生じているようだ。それは全国各地で行われた近代和風の調査に一部顕れている。茶室がどう見ても無視されているところがある。もちろん、それは一部であり、若い人たちはそうではないようにも思う。
さて、そのような経緯もあり、本書では概要からはじめた。本章の内容はさほど難しくは無いはずである。一端を紹介しよう。

西洋人たちは茶を求めてインドから東南アジア、中国、そして日本にやって来た。もちろん茶だけではないが、紅茶は一部の貴族たちから一般市民に拡がりをみせ、大量に消費される時代になってきたのである。彼らが日本にやってくる時代、それは19世紀半ばであるが、それは建築にとっても画期を迎えた時期であった。産業革命によって新しい材料が大量生産され、それに対応できるデザインを模索しはじめたときであった。具体的にいうと、それまでのヴォリュームのある石材に代わって細い鉄が使用されるようになる。この鉄に向いた意匠を模索していたのだ。日本は木造建築が発達していたが、とりわけ茶の湯空間に代表されるように、ことさら細い材料を使用していた。彼らが注目しないわけがない。
「茶」と「木」、茶の湯空間が西洋人たちに注目される素地はととのったのである。
(上記はこの概要の一部の概要です。あとは、本書をお読み下さい。)