建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

市民講座

京都建築専門学校の市民講座が6月22日(土)に行われます。
昭和時代から続いているこの講座、今回のタイトルは「建築を残すということ」
京都工芸繊維大学の笠原先生
専修大学の濱崎先生
にお話しいただきます。
終了後の弘道館の見学時には、私も少し解説を行う予定です。
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大久保利通の茶室と伝える建築について

先般より、新聞誌上などで大久保利通の茶室について目にすることも多いですが、簡単にコメントしておきたいと思います。
なお、下記は、新聞紙上で拝見した内容、そして原田氏のブログと、ご本人から見せていただいた一部資料を元に記述しています。
今後、さらなる情報がありましたら、書き加えるか、書き改めたいと思います。
現在私が知り得た情報のみから、ということを記しておきたいと思います。

  • まず、茶室というものは、歴史を伝える建築という側面を持つ、ということが一つの特徴です。

もっともそれが必ずしも正しいかどうかは、キチッと検証しなければならない、という側面があります。
例えば、名古屋城にあった猿面茶室という建築は、信長と秀吉の逸話が付随して語られるようになり、近代(明治~昭和前期)に大いに注目された茶室です。
しかし学術的には、その後の建物であることが判明しており、上記の逸話が間違いであったことは、当時も明らかでした。
しかししかし、ですが、なぜそのような形態(猿の面(秀吉の顔)のような床柱)を採用したのか、ということは解明されていません。場合によっては、秀吉を偲んでつくられたものかも知れません。あるいは別の側面として、明治以後、この茶室が大きく注目され、写しが造られるようになりました。つまり茶の湯発展にある程度影響力を持ったことも事実としてあります。
このように考えると、学術的な側面だけで切りすててしまうのは、いかがなものかと思います。しかし逆に伝承が優先されすぎて、学術的な側面がもみ消されてしまうことがあれば問題だと思います。決して感情によって学術的な側面を無視してはいけないし、また現在わかっているだけの学術的側面を振りかざして、誤りのあるものをすべて切りすててしまうという態度にも問題があると思います。

発見等の経緯は、詳しくは、原田氏のブログを読まれるといいかと思います。
sego.sakuraweb.com
私自身、茶室の研究者として、これまで知り得た範囲で申し上げたいと思います。
まず小松帯刀の「御花畑」の茶室が大久保邸に移築されたということですが、これが正しいとすると、現在の茶室(先日解体され保存されている茶室)は、大きくその平面が違います。
移築時に大幅な改変が行われた可能性があるということですが、あまりにも平面が違いすぎるので、これは移築とは言い難く、材料を譲り受けた、という程度の表現が正しいかと思います。
ただ移築という表現が使われているので、ほぼ同様の形式で移築されたとするのが妥当だと思います。ならば、その後何らかの理由で改築、あるいはその一部材料を使って新たな茶室を建てた、ということが考えられます。
明治時代になってからの茶の湯は、しばらくは不遇の時代、とも呼ばれています。それが復興するのは小著では、東京で星岡茶寮などが造られる明治十年代以降に少しずつ、一般には明治三十年代頃からと考えられます。
すなわち何らかの茶室があったとしても、その茶室は使われずに10~40年程度、放っておかれた可能性があります。10年も使わずに放置されていた建築はそのままでは使えない可能性があります。あるいは40年放置されていたなら、倒壊の危機が迫っていた、あるいは倒壊していた可能性があります。
大正期に現在の建物と同様のものがあって、茶会が行われたということですので、大正期頃に現在の建物を創った、と考えられます。その際、大久保ゆかりの茶室であるとのことが、後の講演集に掲載されています。すなわち大正期頃に古材を利用して建てられたのが、現在の建物である、と考えることが、現時点ではもっとも合理的な考え方ではないかと思います。ただ現在のところ墨書や和釘の使用など、確実に幕末あるいは明治初期に溯る証拠は見いだせないようです。あと若干の情報では、大正期の材料の一部は、現在に至るまで失われているものもあるようです。

  • 茶室の研究者について

この茶室は、京都市によって保存されることが決定したようです。大正昭和前期頃の伝承が受け継がれた、という形でしょうか。しかし茶室研究という立場、学術的にはかなり問題が多い判断といえるでしょう。篤志家が保存するならば問題ないと思われますが、現代において公が行うには、大きな問題を孕んでいると思います。おそらく京都市がその判断に至るまでに、しかるべき学者などに意見を求めたと思われますが、残念ながら私のところに意見を求めるようなことはありませんでした(雑談はしましたが)。「御花畑」の図を茶室の図面としてキチッと見て、その後の茶の湯の歴史がわかっていれば、現状の茶室を大久保利通の茶室と判断するのはきわめて困難であることは、自明のことだと思います(もちろん一部の材料が転用されている可能性は否定できません)。
何をもって茶室の研究者というかは、ここでは置いておいて、私自身、その端くれだと、自認しています。しかし現在、建築史の研究者は、それなりに数が多いのですが、こと茶室となるときわめて少ないのが現状です。『茶の湯空間の近代』でも述べているように、近代和風建築の調査においても、地域によっては茶室がほぼ取り上げられていないところもあります。建築の中ではちょっと特殊な茶室とそれをとりまく住居史、そして茶の湯の歴史について理解しなければならないので、面倒な分野です。しかし、この分野の研究者を増やしていかないと、茶室が伝承のみに流され、正しく学術的な側面からの判断ができなくなる恐れがあります。一方でまだ知られざる多くの茶室があると思われますが、それらが発見されたとき、大切な茶室の価値を伝える人がいなくなり、結果として、多くの茶室が消えていく運命にあると思います。大袈裟でしょうか?
(6/18 7/2 若干修正)

茶道文化学術賞受賞

先にもお知らせしましたように、拙稿『茶の湯文化の近代―世界を見据えた和風建築―』が茶道文化学術賞受賞奨励賞を受賞し、その授賞式が東京一ツ橋の学士会館で行われました。k-soho.hatenablog.com
嬉しいことに、平成5年から始まった学術賞の中で、建築関係の研究が受賞したのははじめてとのことです。
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授賞式の後、研究の概要について記念講演いたしました。
同書は研究書として書かれたもので、決して読みやすい本ではありませんので、なるべきわかりやすく、またその研究の先にあるものをお示ししました。
その後、記念パーティーが行われました。
会場には、建築学の泰斗・東京大学名誉教授の内田祥哉先生もお見えで、ユニークな視点で良かったとお褒めの言葉を頂戴いたしました。
また多くの先生方から激励のお言葉を頂戴いたしました。ありがとうございました。

『日本建築和室の世界遺産的価値』

日本建築学会特別調査委員会報告書として『日本建築和室の世界遺産的価値』が発刊されました。
2016年4月から3年間の特別委員会の活動をまとめたものです。
このなかで、拙稿が3本、掲載されています。
ⅠB 無形文化としての和室の特異性
3 茶の湯文化と和室
(概要)室町末~桃山期の茶室について、ポルトガル人ロドリゲスの視点からの発表
Ⅲ 現代社会における和室研究
10 和室の近代的視点・近代に現れた千利休
(概要)近代の茶の湯空間について、近代建築の流れと茶室との関わりを中心に述べた発表
11 自分にとっての和室とその未来展望―数寄屋建築への取り組み―
(概要)私自身のこれまでの和室にかかわる研究の遍歴について
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茶道文化学術賞受賞

小著『茶の湯空間の近代』が茶道文化学術奨励賞を受賞しましたので、ご報告申し上げます。
建築関係者の著作としては、はじめての受賞です。
www.shibunkaku.co.jp
「茶道文化学術賞」とは、大日本茶道学会(三徳庵)が設けたもので、前年一年間に発表された茶道文化研究に関する優れた著作・論文を対象に茶道文化研究に大きな貢献をしたと認められる研究を顕彰するもので、平成2年より続けられています。研究を大成させた著者の代表作ともなるべき作品には「茶道文化学術賞」を、今後の茶道文化の研究を進展させることに貢献が認められる作品に対しては、「茶道文化学術奨励賞」を授与しているとのことです。
https://www.santokuan.or.jp/activity/research/
なお、小生、平成8年度に茶道文化学術助成金を受けています。対象研究は「黎明期における近代数寄屋建築の研究」。この度の研究もその流れを汲むものです。感謝申し上げます。

町家の日week

町家の日weekオープニングイベントで、数寄屋の町家・弘道館について解説してきました。
町家の日とは、3月8日(Marchの8、ということだそうです)のことで、その日を挟んだ一週間が、町家の日weekということで、町家にちなんでさまざまなイベントが行われます。
そのオープニングイベントが、今年は弘道館で行われました。

まずは門川京都市長、濱崎弘道館館長、町家の日普及実行委員会西村氏によるテープカット。
ついで市長の挨拶、そして私が建築説明を行いました。

(落語を咄しているのではありません)
そして高校生による琴演奏と続きました。

書評『茶の湯空間の近代』デザイン理論73

意匠学会『デザイン理論』73に小著『茶の湯空間の近代』の書評が掲載されました。著者は京都精華大学の谷本尚子氏です。
www.shibunkaku.co.jp
概要を記していただき、読みやすいという点、高谷宗範について「五月蠅く」感じていた谷本氏が得心できたという点が、最後に記され、意匠学においても興味深い一冊、とまとめていただきました。
感謝申し上げます。

まいまい京都「蘆花浅水荘」

「まいまい京都」の見学会で蘆花浅水荘を案内して参りました。

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蘆花浅水荘
蘆花浅水荘は近代の画家山元春挙の屋敷です。近代和風建築(数寄屋建築)として滋賀県で最初に重要文化財に指定された建築です。
山元春挙のお孫さんの山元寛昭さんにはいつもお世話になっています。ありがとうございました。
www.maimai-kyoto.jp
山元春挙別邸 蘆花浅水荘

岡田孝男の記録した大阪の幻の茶室

日本建築協会の『建築と社会』2018.11号、「再読 関西の建築」で、拙稿「岡田孝男の記録した大阪の幻の茶室」が掲載されました。
1941年の同誌の記事の再読です。この岡田孝男の記録した茶室のうち、大阪市内のものがすべてその後戦禍で焼失します。今となってはこれらの記事は、当時の大阪を知る上で、あるいは茶室の歴史を知る上で、大変貴重な資料となっています。ここでは1月号「願泉寺の茶室」、2月号「豊公の席と淀屋の席」、3月号「今宮の十萬堂」、4月号「一心寺の八窓の席」、5月号「義心亭」を紹介しています。岡田孝男のご子息である岡田聿之氏には大変お世話になりました。そして日本建築協会の編集の方にも校正の際さまざまにご指摘いただき感謝申し上げます。
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この度の記事は岡田孝男のことでありますが、私のような者が、このような茶室のことについて語ることができるのは、中村先生のご指導のおかげです。深く御礼申し上げます。