本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。
その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘(現在のページ)
■ 第七章 高谷宗範と松殿山荘
いよいよ最終章。本章では、昨年(平成29年)重要文化財に指定された松殿山荘について、作者高谷宗範の建築の「仕事」とともに記している。
高谷宗範は官僚であり、のちに弁護士となった人物で、建築を生業としていた人ではない。いわゆる数寄者である。この時期の数寄者には建築について非常に詳しい人がいたが、宗範もその一人であった。最初大阪今橋に居を構えたが、その屋敷の茶室に手を加え、今でいうところのリノベーションを行い、新たな茶室として甦らせた。
その後知人の茶室や居宅の設計を行った。それはのちの松殿山荘につながるものであった。松殿山荘はじつにユニークな建築である。いちおう、近代和風、近代数寄屋という分類になるだろうが、他のものと大きく違っている。なぜこのようなものができたのか。単に新奇なものを造ろうとしただけではない。作者の高谷宗範の深い考慮の中から生まれたのが、この建築である。その概要の一部を記しておこう。
現在明治村に移築されている芝川邸は明治44年に建設されたものである。じつはこの洋館には、かつて和館が併存していて、その設計に高谷宗範が加わっていたというのだ。さらに言うと、芝川邸と松殿山荘、近似の意匠がみられる。この芝川邸における武田との出会いが高谷宗範の考え方を大きく変えたものとみられる。もちろん宗範はプロではなくジェントルマン・アーキテクトであり、ぎこちなさは残る。しかし宗範自身、建築界の当時の情報を見聞し、真摯にそれを取り込んだのがこの建築である。建築史家鈴木博之は「われわれの二十世紀は、建築の表現の論理においては、松殿山荘を越えるラディカリズムを戦後に至るまでもっていない」と評している。(あとは本書をお読みください)