建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

『茶の湯空間の近代』の読み方 その6

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その6

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ(現在のページ)
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第六章 近代の安土桃山イメージ

明治初期の茶の湯にとって不遇な時代から、茶の湯が復興するきっかけの一つとなった出来事、愛知県博覧会の猿面茶室について、本章の最初に取り上げている。
これまでにも何度か取り上げた内容であるが、ある意味それは「うそ」の内容が含まれる。つまりこの床柱の猿の面のような斫り目から、信長と秀吉の戯れ言が世間に広まるが、それは根拠の無いことである。
茶の湯の復興には、そのような側面もあった。茶の湯関係者にとってみれば、なんだかすわりが悪い話かも知れない。私自身も書くべきかどうか悩んだ部分だ。この部分は自分でも嫌になるときがある。ただ復興の為のさまざまな側面を記しておくことは重要なのではないかと思い、記したわけである。
また本章では上記の秀吉イメージだけではなく、利休イメージも扱った。その概要の一部を記しておこう。

近代の茶の湯、そして茶の湯空間に重要な要素は利休イメージであった。これは江戸期末頃の茶の湯の遊芸的なイメージを払拭するため、精神性を正面に持ってきたものと考えることができる。第二章で記した紅葉館や星岡茶寮には利休堂が設けられた。のちの料理店なら不要な施設である。また第三章の今泉や武田の論文においては、千利休への注目は非常に高いものである。千利休の造った茶の湯空間、これに近代性を見ることは武田からはじまり、大正や昭和期の建築家たちに受け継がれた。(あとは本書をお読みください)