建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

『茶の湯空間の近代』の読み方 その3

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その3

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献(現在のページ)
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第三章 明治期の茶室の文献
明治期、茶室の研究を行った建築家として武田五一が知られている。しかしこの武田の論文を読めばわかるが、その後堀口捨己や、中村昌生らによって確かな方向付けが行われた茶室研究と比較すると、かなり拙いものであることは否めない。しかし、ここでは方向を変えてこの論文を読んでいる。つまり近代建築の論文としてこれを読むと、非常に面白い。もちろんそのためには若干の茶の湯に対する知識が必要だが、さほど難しい内容ではない。
じつはこの論文、筆者が今をさかのぼること30数年前に記した、大学院修士論文の一部である。じつはその公聴会の時、当時のF教授からケチョンケチョンにされたのがこの論文である。要は、私が用語の使い方を間違ったのである。その時、細部に至るまで、注意して論文を書かねばならない、と肝に銘じたのである。しかし一方で、論文の核心部分に一切触れられないで終わった公聴会でもあった。幸い、部分を修正することでその論文によって修士は頂いたのだが、正直、大変悔しい思いをした。今だとハラスメントなどと叫ぶ人がいても不思議ではない程、私にとって厳しいものであった。核心は間違っていない、と信じつつ、しかし私は研究からしばらく離れることになった。
その後、10年ほどたってから、N名誉教授から論文を書いてみないか、とのお声がけをいただき、相前後し他の論文と一緒に、その部分を抜き出し、修正して日本建築学会の査読論文に投稿し、みごと掲載を勝ち取ったものであった。ちなみに博士論文にはこの論文を加えてはいない。あくまでもその基本は修士論文という認識である。
さて、個人的なに事情についついスペースをさいてしまったが、本章の概要について述べておこう。

武田五一の茶室研究には、南方録視点が強く入っている。この南方録の視点とは、千利休を絶賛し、しかしその後の茶室(南方録では以後の茶の湯そのもの)については評価が極めて低いものである。大きな会所空間から、小さく囲って四畳半が誕生し、さらにそれが無駄を省き、小さくなり、極限の二畳(一畳大目(台目)、客のための一畳、亭主のための一畳)を利休が生みだした。これ以上何があるというのだ?とでも言いたげな、武田の視点はわかりやすい。それ以外に、装飾を削ぎ落とし左右非相称の空間を強調するところなど、近代建築の論文といって良いものである。
さてこの武田の論文はいきなり生まれたものではない。それ以前に記された今泉雄作の視点が大きいとみられる。さらにその後の建築家の茶室への視点に少なからぬ影響を与えたものと考えられるものでもあり、若干大袈裟かも知れないが日本建築の近代化にとって大きな意味を持つ。(あとは本書をお読みください)