建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

茶道文化学術賞受賞

先にもお知らせしましたように、拙稿『茶の湯空間の近代―世界を見据えた和風建築―』が茶道文化学術賞受賞奨励賞を受賞し、その授賞式が東京一ツ橋の学士会館で行われました。k-soho.hatenablog.com
嬉しいことに、平成5年から始まった学術賞の中で、建築関係の研究が受賞したのははじめてとのことです。

授賞式の後、研究の概要について記念講演いたしました。
同書は研究書として書かれたもので、決して読みやすい本ではありませんので、なるべきわかりやすく、またその研究の先にあるものをお示ししました。
その後、記念パーティーが行われました。
会場には、建築学の泰斗・東京大学名誉教授の内田祥哉先生もお見えで、ユニークな視点で良かったとお褒めの言葉を頂戴いたしました。
また多くの先生方から激励のお言葉を頂戴いたしました。ありがとうございました。

『日本建築和室の世界遺産的価値』

日本建築学会特別調査委員会報告書として『日本建築和室の世界遺産的価値』が発刊されました。
2016年4月から3年間の特別委員会の活動をまとめたものです。
このなかで、拙稿が3本、掲載されています。
ⅠB 無形文化としての和室の特異性
3 茶の湯文化と和室
(概要)室町末~桃山期の茶室について、ポルトガル人ロドリゲスの視点からの発表
Ⅲ 現代社会における和室研究
10 和室の近代的視点・近代に現れた千利休
(概要)近代の茶の湯空間について、近代建築の流れと茶室との関わりを中心に述べた発表
11 自分にとっての和室とその未来展望―数寄屋建築への取り組み―
(概要)私自身のこれまでの和室にかかわる研究の遍歴について
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茶道文化学術賞受賞

小著『茶の湯空間の近代』が茶道文化学術奨励賞を受賞しましたので、ご報告申し上げます。
建築関係者の著作としては、はじめての受賞です。
www.shibunkaku.co.jp
「茶道文化学術賞」とは、大日本茶道学会(三徳庵)が設けたもので、前年一年間に発表された茶道文化研究に関する優れた著作・論文を対象に茶道文化研究に大きな貢献をしたと認められる研究を顕彰するもので、平成2年より続けられています。研究を大成させた著者の代表作ともなるべき作品には「茶道文化学術賞」を、今後の茶道文化の研究を進展させることに貢献が認められる作品に対しては、「茶道文化学術奨励賞」を授与しているとのことです。
https://www.santokuan.or.jp/activity/research/
なお、小生、平成8年度に茶道文化学術助成金を受けています。対象研究は「黎明期における近代数寄屋建築の研究」。この度の研究もその流れを汲むものです。感謝申し上げます。

町家の日week

町家の日weekオープニングイベントで、数寄屋の町家・弘道館について解説してきました。
町家の日とは、3月8日(Marchの8、ということだそうです)のことで、その日を挟んだ一週間が、町家の日weekということで、町家にちなんでさまざまなイベントが行われます。
そのオープニングイベントが、今年は弘道館で行われました。

まずは門川京都市長、濱崎弘道館館長、町家の日普及実行委員会西村氏によるテープカット。
ついで市長の挨拶、そして私が建築説明を行いました。

(落語を咄しているのではありません)
そして高校生による琴演奏と続きました。

書評『茶の湯空間の近代』デザイン理論73

意匠学会『デザイン理論』73に小著『茶の湯空間の近代』の書評が掲載されました。著者は京都精華大学の谷本尚子氏です。
www.shibunkaku.co.jp
概要を記していただき、読みやすいという点、高谷宗範について「五月蠅く」感じていた谷本氏が得心できたという点が、最後に記され、意匠学においても興味深い一冊、とまとめていただきました。
感謝申し上げます。

まいまい京都「蘆花浅水荘」

「まいまい京都」の見学会で蘆花浅水荘を案内して参りました。

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蘆花浅水荘
蘆花浅水荘は近代の画家山元春挙の屋敷です。近代和風建築(数寄屋建築)として滋賀県で最初に重要文化財に指定された建築です。
山元春挙のお孫さんの山元寛昭さんにはいつもお世話になっています。ありがとうございました。
www.maimai-kyoto.jp
山元春挙別邸 蘆花浅水荘

岡田孝男の記録した大阪の幻の茶室

日本建築協会の『建築と社会』2018.11号、「再読 関西の建築」で、拙稿「岡田孝男の記録した大阪の幻の茶室」が掲載されました。
1941年の同誌の記事の再読です。この岡田孝男の記録した茶室のうち、大阪市内のものがすべてその後戦禍で焼失します。今となってはこれらの記事は、当時の大阪を知る上で、あるいは茶室の歴史を知る上で、大変貴重な資料となっています。ここでは1月号「願泉寺の茶室」、2月号「豊公の席と淀屋の席」、3月号「今宮の十萬堂」、4月号「一心寺の八窓の席」、5月号「義心亭」を紹介しています。岡田孝男のご子息である岡田聿之氏には大変お世話になりました。そして日本建築協会の編集の方にも校正の際さまざまにご指摘いただき感謝申し上げます。
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この度の記事は岡田孝男のことでありますが、私のような者が、このような茶室のことについて語ることができるのは、中村先生のご指導のおかげです。深く御礼申し上げます。

訃報 中村昌生先生

恩師、中村昌生先生が亡くなった。平成30年11月5日のことだ。
その業績は今さら言うまでもないが、茶室・数寄屋建築の研究者そして建築家としての泰斗であり、日本の伝統建築技術の顕彰に努められ、間近に迫った「伝統建築 工匠の技」のユネスコ文化遺産登録への道筋をつけたことでも知られている。
私は京都工芸繊維大学の学部学生の時からご指導いただいた。もちろん大学院は先生の研究室。と書けば、たいそう優秀だったように聞こえるが、全くそんなことはない。大学卒業までに5年かかっているし。修士そして研究生の時には何度か厳しく叱られ、しまいには破門のような状況にもなった。「君はもう来んでもいい」恒例の新年会に呼ばれなかったこともあった。
しかし、その後お許しをいただき、何とか関わりをもつことが許された。
就職も先生のお世話で決まった。静岡県の小さな専門学校に勤めた。そのとき中村昌生先生の弟子だから茶室のことは何でも分かるだろう、と思われていたようだが、じつは全く何も知らなかった。修士論文は近代建築、武田五一であったのだ。しかしその時、必死になって茶室の勉強をした。特に研究者になるつもりもなく田舎の学校の教員でいいと思って働いていたのだが、このときに意識が変わった。
それから少しずつ研究を始め、先生にも見ていただくようになった。そのかいあってか、すでに京工繊大を退官されていた中村先生より、東京大学鈴木博之先生をご紹介いただき、博士論文を書くことができた。
その後、先生とは時々連絡を取り合いながら研究を進めてきた。近代の茶室のことが大きなテーマであったが、それ以前、つまり桃山や江戸期のことも研究しなければならないとご指導を受けた。「近代のことなど、その前のことが分からずに理解できるものか」と。私の山上宗二の研究は、それがひとつのきっかけであった。
あるとき、先生の事務所をうかがったとき、先生はおもむろに棚から堀口捨己の本を取り出された。そこには多数の付箋とびっしりと小さな字でメモが記されていた。「堀口先生の本は辞書のように使っているんだ」と。私は大きな刺激を受けた。
本年3月に出版された『茶室露地大事典』は先生の遺作となりました。そしてその編集に加わらせていただいたことは、私の研究に大きな刺激になりました。
ご冥福をお祈りします。
k-soho.hatenablog.com

重要文化財・松殿山荘 近代建築としての和風空間―松殿山荘の見方

本日、松殿山荘で京都建築専門学校主催の講演会と見学会「重要文化財・松殿山荘 近代建築としての和風空間―松殿山荘の見方」が行われ、松殿山荘の見方について、新しい知見も加えお話しして参りました。
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kyotokenchiku.ac.jp