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建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

「大正期の雑誌にみる茶室論の傾向について」

建築学会計画系論文集 vol.76 no.659 2011.1 に拙稿「大正期の雑誌にみる茶室論の傾向について」が掲載されました。
タイトル:「大正期の雑誌にみる茶室論の傾向について―モダニズムへつづく茶室論の研究―」
目的:大正期の茶室の設計は、益田孝(鈍翁)や高橋義雄(箒庵)らの数寄者と、彼らを支える仰木敬一郎(魯堂)や木津宗詮(聿斎)らのいわゆる数寄屋建築家が中心であった。大正期において、建築家が茶室を設計することは希なことだといってよい。しかし、のちに示すように、建築家たちが茶室に目を向けはじめたのは大正期である。数寄者たちの茶の湯が盛況となり、その建築も多くつくられていたこの時期、建築家が茶室に関してどのような考え方を持っていたのか、あるいは建築界において茶室に関してどのような言論が発信されていたのか、当時の建築関連の雑誌より明らかにしたいと考える。
 筆者はこれまで、近代における茶の湯復興に際して、博覧会や博物館、公園などに設置された茶の湯の施設が大きな意味を持っていたことを述べてきた。その影響として、明治・大正期に数寄者たちによって茶室が移築あるいは新築されたが、その建築を支えたのは数寄屋建築家である。あるいは武田五一の茶室研究を考察し、のちのモダニズムにも一部通ずる内容を武田が見出していたことを示してきた。本稿は、近代建築史の文脈における茶室の位置づけを明らかにしようとする研究の一環で、とりわけ、のちの昭和期における建築家による茶室および数寄屋の流行、そしてモダニズムを奉ずる建築家における日本的なものへの道程を探ろうとする研究につながるものとしてある。