建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

『茶の湯空間の近代』の読み方 その4

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その4

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献(現在のページ)
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第四章 大正期の茶室の文献
大正時代、すなわち20世紀初頭、世界の建築の潮流は、どんどん変化していたときであった。その中からいわゆるモダニズムが誕生し、この様式なき様式は、その後しばらく世界の建築を牽引していくことになる。さてその大正時代、日本建築にとっても激動の時代で、明治末頃から活発化した議論、「我国将来の建築を如何にすべきや」に象徴されるように、今後の日本建築についてのあり方がさまざまな方向から検討されていた時代でもあった。
それからもう一つの側面がある。それは建築家の作品というわけではないが、いわゆる数寄者たちが、郊外に山荘風の数寄屋建築を建築するようになっていたのだ。少し立場を違えるが、ハワードによる「明日の田園都市」が明治に邦訳(厳密なものではない、日本の事情がずいぶんと組み込まれた創作とも読める)され、郊外における田園風の生活が称賛された時期でもあった。またこの邦訳には日本においては、都市建築にも田園都市の理想が備わっているとしている。
本章は、日本建築学会の査読論文と、大会発表の論文からなるものである。明治時代に武田の茶室の論文が発表されてから、しばらくの年月がたつが、この大正期後半、再び茶室についての注目の度合いが増加する。当時の建築の雑誌から茶の湯空間にかかわる記事を蒐集すると、それは恐ろしいほど近代建築の論調とかぶっていることに気づかされる。それでは本文の概要の一部について記しておこう。

武田の論文のあと、茶室についての議論は盛んではなかった。しかし大正時代の後半になって、多くの建築家たちが、茶室について議論を始める。それは武田も指摘していたが、茶室の中に近代建築の性格がひそんでいるということであった。すなわち、先に挙げた装飾を省くだとか、左右非相称だとかいう内容である。さらに自然との関わりも問題にする。西芳寺の湘南亭の広縁をベランダと称する人も現れた。言い得て妙である。この時期、自然と人工との関わりは西洋の建築家の大きなテーマであった。一方で日本建築においては人工的な建築内部に自然が取り入れられ、外部空間と内部空間との境に、外でもあり内でもある曖昧な空間が作られていた。茶室の土庇や先の広縁などである。(あとは本書をお読みください)