建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

茶会記にみる押入をめぐって

建築学会大会で、「茶会記にみる押入をめぐって」と題して発表いたしました。
内容を要約すると以下の通りです。

茶会記には「押入」「押入床」という言葉がときどきでてきますが、これは何を示すのでしょうか。これまでは、押入状の床の間、現在の床の間に似たもの、などと解釈されていました。でも押入状の床の間、とはどういうものでしょうか?また現在の床の間に「似た」ものとはどういうものでしょうか?
押入状の床の間とは一説によると、松花堂の床脇の戸棚のようなものともいわれてきました。しかしそれでは説明のつかないものも多々みられます。
それで16世紀の茶会記を検討いたしました。
もちろん現在の床の間と同様の意味として使用されているケースがあります。つまり床の間と解釈することは問題ないでしょう。
しかしそれ以外のものについて、押入状の床の間と理解するには少々無理があるものもみられます。
そこで、当時の様子を理解する手がかりとして日葡辞書をみてみました。
そこには「ヲシイレ」が「家の外側へ突き出たところの内側にある空所」とでていました。茶室において「家の外側へ突き出たところの内側にある空所」とはどういう部分でしょうか?
一つは床の間です。
そしてもう一つ考えられる部分は、台目構えの(大目構え)の点前座です。
茶会記に記されている「押入」の一部に台目構えの点前座と考えると、すんなりと理解できるものがみられます。
ということで、「押入」の意味としては、「床の間」と「点前座」を示していたものと考えられるのではないか、という説を発表しました。

上記について、ご批判があれば頂戴したいと存じます。
以下、補足です。

この時代、茶室の形態として現在のものの原型が生まれた時期です。
そのひとつに台目構えもあります。
また、床の間そのものも、現代のように形づくられたと考えられる時期です。床の間は上段と押板が凝縮された形式だとの説があります。
そのようなことから、言葉に混乱があったものとみられます。