京都市文化観光資源保護財団会報109に、拙稿、京の茶室3「公家の茶室」が掲載されています。
伏見稲荷御茶屋、曼殊院書院と茶室、仁和寺飛濤亭を紹介しています。
いずれ財団のページにも内容が掲載されると思いますので、ご笑覧下さい。
前回の記事は以下に掲載されています。
京都市文化観光資源保護財団
千利休の茶室をめぐって
今日は市民講座で、利休の茶室についてのお話をして参りました。
私が、待庵、大坂屋敷の三畳大目などについての解説を行い、次いで神津朝夫先生には、『山上宗二記』からみた利休像と茶室についてお話しいただきました。
その後、待庵に関連しての自説(といっても堀口説、中村昌生説を元にしたものですが)を披露し、そこから待庵あるいは山上宗二記の茶室図面についての対談を行いました。
私自身考えをまとめるよい機会になりましたし、神津先生のお考えや会場の方からの質問に大変勉強になりました。
映画「利休にたずねよ」(田中光敏監督、2013年12月7日全国東映系ロードショー)が、第37回モントリオール世界映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞したことも少しは影響しているのでしょうか。茶室のことで、これだけ人が集まるとは思いませんでした。もちろん今回は映画とはなんの関係もありませんが。
定員を超えて大勢の方におこしいただきました。ありがとうございました。
この図が何を意味するのか、それが問題です。
私は、文字どおり関白、つまり秀吉の茶室だと思います。可能性は山崎城あるいは大坂城。どちらかと言えば大坂城の山里であろうか。ただ床の間の間口が完成してすぐに縮められたのではないかと・・・。
このあたりのことに関しては、あらためて纏めたものを発表したいと思います。
リーガロイヤルホテル
『建築と社会』10月号に拙稿「大阪ロイヤルホテル」が掲載されています。
設計者の吉田五十八は御存知のように近代数寄屋の中心にいた一人です。このホテルの設立に尽力した山本為三郎に請われて、設計を行いました。実業家の山本は民芸のコレクターとして有名で、そのコレクションは現在大山崎山荘美術館に収められています。山本の求めに応じ、民芸を含む伝統意匠をちりばめたのがこのホテルです。吉田の得意とする寝殿造をアレンジした意匠が随所に見られます。また民芸デザインはリーチバーに見ることができます。英国田舎風の意匠です。吉田はいわゆる数寄屋風書院造のみを数寄屋ととらえず、幅広く伝統意匠をアレンジしたものも数寄屋と考えていました。まさにその考えが活かされた建築がこの大阪ロイヤルホテル(リーガロイヤルホテル)なのです。
弘道館茶の湯文化講座「近代茶室と数寄屋」
本日13:00~14:30、弘道館にて講義を行って参りました。
西洋建築が近代建築へとその姿を変えるとき、少なからぬ日本建築の影響がありました。厚い壁、小さな窓、自然と相対する建物は、薄い壁、大きな開口部、自然とかかわりの深い建物へと変貌を遂げました。そこで参照されたものの一つは、日本建築でした。
一方で日本の伝統的な建物も西洋の近代化の影響を受けました。
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宇治にある松殿山荘はまさにその両面を持った建築で、大正末から昭和初期にかけて建築されました。・・・・
京都市文化観光資源保護財団会報107
京都市文化観光資源保護財団会報107に、拙稿、京の茶室1「桃山の遺響」が掲載されています。
いずれ財団のページにも内容が掲載されると思いますので、ご笑覧下さい。
古典の日「街かど古典カフェ」特別講座Ⅱ
古典の日「街かど古典カフェ」特別講座Ⅱにて、松殿山荘の解説をして参りました。
http://f.hatena.ne.jp/kirisakokunio/20130712201035
(リンクが切れていたようでしたので改めました)
と、いってもわずか10分です。
この短時間に松殿山荘の建築史的意義をわかりやすく?お話ししましたが、ご理解いただけたでしょうか。
西洋建築の近代化、そして数寄屋建築の近代化、その狭間に位置する松殿山荘、という構図です。
お手伝いいただいた皆様には感謝申し上げます。
甲子園ホテル
『建築と社会』2013年2月号に「再読 関西近代建築」シリーズとして、拙稿「甲子園ホテル」が掲載されました。
現在、武庫川女子大のキャンパスとして使用されている元甲子園ホテルについて、その建築概要や、設計者遠藤新についての概要、そして日本の伝統が引用されているという側面を紹介しました。
遠藤が師事したフランク・ロイド・ライトは、浮世絵コレクターとして有名で、また経営者林愛作は日本美術を扱う山中商会のニューヨーク支店長を務めた人物であった。彼らに大きく影響を受けた遠藤は、甲子園ホテルの設計に日本の伝統をメタファーとして織り込んでいたのである・・・
佳水園
京都市文化観光資源保護財団の見学会、都ホテル佳水園の講師を務めました。
はじめに都ホテルの葵殿にて講義を行い、それから庭園と佳水園の見学を行いました。
数寄屋は自然との関わりの深い建築ですが、近代になって西洋の建築家たちが注目するようになりました。一般に西洋では石造建築の歴史が長く、基本的には厚い壁に小さな窓の構成で、外部空間と内部空間が明確に区切られて参りました。しかし近代に入り、薄い壁に窓を広くとった建築が多くなりました。そこで注目されたものの一つが日本の数寄屋建築です。そしてさらに面白いのは、日本人の建築家たちが、それを察し、数寄屋に対する注目をさらに深めたことです。村野藤吾もその一人でした。
佳水園の興味深い点は、日本の伝統がモダンな要素として組み立てられているところが挙げられます。
薬医門の変形ともいえる門構え。控柱が表に立ちます。
佳水園玄関、障子がロシア構成主義的にまとめられています。
撮影はいずれも2008年