今日は、エクスカーション。
午前中は松殿山荘の案内です。
午後は弘道館の案内です。
全国ヘリテージマネージャー大会
昨日に引き続き、全国ヘリテージマネージャー大会が行われ、「KOMOの多様な人材による活動について」と題して、事例報告を行いました。
http://www.kenchikushikai.or.jp/data/zenkokutaikai/60th_kyoto/07.session%EF%BC%88joho_heritage%EF%BC%89.pdf
建築士会全国大会京都大会全国ヘリテージマネージャー総会
全国ヘリテージマネージャーの総会が京都で行われ、文化博物館の見学が行われました。
松殿山荘
国の文化審議会は、松殿山荘を重要文化財に指定するよう、林芳正文部科学相に答申した、とのことです。
www.bunka.go.jp
宇治の「松殿山荘」国重文指定へ 京都の建造物299件に : 京都新聞
茶会記にみる押入をめぐって
建築学会大会で、「茶会記にみる押入をめぐって」と題して発表いたしました。
内容を要約すると以下の通りです。
茶会記には「押入」「押入床」という言葉がときどきでてきますが、これは何を示すのでしょうか。これまでは、押入状の床の間、現在の床の間に似たもの、などと解釈されていました。でも押入状の床の間、とはどういうものでしょうか?また現在の床の間に「似た」ものとはどういうものでしょうか?
押入状の床の間とは一説によると、松花堂の床脇の戸棚のようなものともいわれてきました。しかしそれでは説明のつかないものも多々みられます。
それで16世紀の茶会記を検討いたしました。
もちろん現在の床の間と同様の意味として使用されているケースがあります。つまり床の間と解釈することは問題ないでしょう。
しかしそれ以外のものについて、押入状の床の間と理解するには少々無理があるものもみられます。
そこで、当時の様子を理解する手がかりとして日葡辞書をみてみました。
そこには「ヲシイレ」が「家の外側へ突き出たところの内側にある空所」とでていました。茶室において「家の外側へ突き出たところの内側にある空所」とはどういう部分でしょうか?
一つは床の間です。
そしてもう一つ考えられる部分は、台目構えの(大目構え)の点前座です。
茶会記に記されている「押入」の一部に台目構えの点前座と考えると、すんなりと理解できるものがみられます。
ということで、「押入」の意味としては、「床の間」と「点前座」を示していたものと考えられるのではないか、という説を発表しました。
上記について、ご批判があれば頂戴したいと存じます。
以下、補足です。
この時代、茶室の形態として現在のものの原型が生まれた時期です。
そのひとつに台目構えもあります。
また、床の間そのものも、現代のように形づくられたと考えられる時期です。床の間は上段と押板が凝縮された形式だとの説があります。
そのようなことから、言葉に混乱があったものとみられます。
『モダンエイジの建築』
日本建築協会100周年を記念した図書『モダンエイジの建築』届きました。滋賀県庁舎、関電京都ビル、京都市美術館、甲子園ホテル、橿原神宮駅、大阪ロイヤルホテル、そして1935年の「茶室建築特集号」を担当いたしました。
茶室特集号では、当時の建築家たちの認識として、茶室が過去の建築ではなく、まさにその時代を生きているものとしての認識であったことが、良くわかる内容となっていました。数寄屋建築家の木津宗詮や、当時の新進の建築家、吉田五十八の論考などが掲載されていました。また興味深いのが、当時の写真の撮り方です。現在とは違って、あえて戸を開けて撮った写真が多いのです。おそらく茶室の立体的な構成を見せたかったのだと思われます。