『茶室露地大事典』は3月に淡交社から出版されます。
淡交社のWebページに掲載されていましたので、リンクを張っておきます。
https://www.tankosha.co.jp/books/bookfair/3.html
参照k-soho.hatenablog.com
吹田市西尾家住宅
本日は京都建築専門学校伝統建築研究科の見学会。
吹田市の西尾家住宅を訪れました。
民家と茶室と武田五一設計の洋館が複合した建築群です。
歴史的建造物 旧西尾家住宅
建築士会全国大会京都大会
今日は、エクスカーション。
午前中は松殿山荘の案内です。
午後は弘道館の案内です。
全国ヘリテージマネージャー大会
昨日に引き続き、全国ヘリテージマネージャー大会が行われ、「KOMOの多様な人材による活動について」と題して、事例報告を行いました。
http://www.kenchikushikai.or.jp/data/zenkokutaikai/60th_kyoto/07.session%EF%BC%88joho_heritage%EF%BC%89.pdf
建築士会全国大会京都大会全国ヘリテージマネージャー総会
全国ヘリテージマネージャーの総会が京都で行われ、文化博物館の見学が行われました。
松殿山荘
国の文化審議会は、松殿山荘を重要文化財に指定するよう、林芳正文部科学相に答申した、とのことです。
www.bunka.go.jp
宇治の「松殿山荘」国重文指定へ 京都の建造物299件に : 京都新聞
茶会記にみる押入をめぐって
建築学会大会で、「茶会記にみる押入をめぐって」と題して発表いたしました。
内容を要約すると以下の通りです。
茶会記には「押入」「押入床」という言葉がときどきでてきますが、これは何を示すのでしょうか。これまでは、押入状の床の間、現在の床の間に似たもの、などと解釈されていました。でも押入状の床の間、とはどういうものでしょうか?また現在の床の間に「似た」ものとはどういうものでしょうか?
押入状の床の間とは一説によると、松花堂の床脇の戸棚のようなものともいわれてきました。しかしそれでは説明のつかないものも多々みられます。
それで16世紀の茶会記を検討いたしました。
もちろん現在の床の間と同様の意味として使用されているケースがあります。つまり床の間と解釈することは問題ないでしょう。
しかしそれ以外のものについて、押入状の床の間と理解するには少々無理があるものもみられます。
そこで、当時の様子を理解する手がかりとして日葡辞書をみてみました。
そこには「ヲシイレ」が「家の外側へ突き出たところの内側にある空所」とでていました。茶室において「家の外側へ突き出たところの内側にある空所」とはどういう部分でしょうか?
一つは床の間です。
そしてもう一つ考えられる部分は、台目構えの(大目構え)の点前座です。
茶会記に記されている「押入」の一部に台目構えの点前座と考えると、すんなりと理解できるものがみられます。
ということで、「押入」の意味としては、「床の間」と「点前座」を示していたものと考えられるのではないか、という説を発表しました。
上記について、ご批判があれば頂戴したいと存じます。
以下、補足です。
この時代、茶室の形態として現在のものの原型が生まれた時期です。
そのひとつに台目構えもあります。
また、床の間そのものも、現代のように形づくられたと考えられる時期です。床の間は上段と押板が凝縮された形式だとの説があります。
そのようなことから、言葉に混乱があったものとみられます。