建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

「甲東園芝川邸の茶室と高谷宗範について」

建築学会(神戸大学)での発表しました。
簡単な内容は以下の通りです。
松殿山荘のユニークな数寄屋建築群を造り上げたジェントルマンアーキテクト(プロではない建築家)高谷宗範は、芝川家の甲東園の屋敷(その洋館は明治村に移築されています)に茶室を造っていました。
これまであまり知られていなかったそれらの茶室を、芝川家(千島土地)に残る資料から明らかにしました。また一方で高谷宗範のアーキテクト(建築家)としての活動の一端を知ることもできました。図面を描くこと、そして職人や材料の管理にも関わっていたことが明らかになりました。
写真は宗範が描いたと考えられる図面です。

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山上宗二記にみる茶室

今日庵文庫より『茶道文化研究』第六輯が刊行されました。拙稿「山上宗二記にみる茶室」が掲載されています。
この中で一つの問題提起をしています。
30数年前の研究のことです。中村利則氏によって、千利休がつくったとされる妙喜庵待庵の祖形が『山上宗二記』に記載の「関白様御座敷二畳敷」であり、それは秀吉の山崎城に建てられたものであった、ということが発表されました。一部には異論があるものの、しかし主に茶の湯の研究者の間では、それが定説となりかけていたものです。
今回、改めて『山上宗二記』を吟味すると、そこには大きな疑問点が存在することがわかりました。つまり断定こそできませんが、「関白様御座敷二畳敷」は待庵とは切り離して考えなければならない、ということです。
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今後、各方面からのご批判、ご叱正を頂戴したいと存じます。
その上で、大きな問題点がないならば、これによって、千利休像の一部、また茶道史の一部には見直しも必要であろうと考えられます。
まずはご高覧賜りたいと存じます。
論文・レジュメ_リンク

京の茶室 公家の好み

京都市文化観光資源保護財団会報109に、拙稿、京の茶室3「公家の茶室」が掲載されています。
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伏見稲荷御茶屋、曼殊院書院と茶室、仁和寺飛濤亭を紹介しています。
いずれ財団のページにも内容が掲載されると思いますので、ご笑覧下さい。
前回の記事は以下に掲載されています。
京都市文化観光資源保護財団

小堀遠州の茶室

京都市文化観光資源保護財団会報108に、拙稿、京の茶室2「組みあわせの妙 小堀遠州の茶室」が掲載されています。
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いずれ財団のページにも内容が掲載されると思いますので、ご笑覧下さい。
前回の記事は以下に掲載されいて生ます。
京の茶室

千利休の茶室をめぐって

今日は市民講座で、利休の茶室についてのお話をして参りました。
私が、待庵、大坂屋敷の三畳大目などについての解説を行い、次いで神津朝夫先生には、『山上宗二記』からみた利休像と茶室についてお話しいただきました。
その後、待庵に関連しての自説(といっても堀口説、中村昌生説を元にしたものですが)を披露し、そこから待庵あるいは山上宗二記の茶室図面についての対談を行いました。
私自身考えをまとめるよい機会になりましたし、神津先生のお考えや会場の方からの質問に大変勉強になりました。
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映画「利休にたずねよ」(田中光敏監督、2013年12月7日全国東映系ロードショー)が、第37回モントリオール世界映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞したことも少しは影響しているのでしょうか。茶室のことで、これだけ人が集まるとは思いませんでした。もちろん今回は映画とはなんの関係もありませんが。
定員を超えて大勢の方におこしいただきました。ありがとうございました。f:id:kirisakokunio:20131006001832j:plain
この図が何を意味するのか、それが問題です。
私は、文字どおり関白、つまり秀吉の茶室だと思います。可能性は山崎城あるいは大坂城。どちらかと言えば大坂城の山里であろうか。ただ床の間の間口が完成してすぐに縮められたのではないかと・・・。
このあたりのことに関しては、あらためて纏めたものを発表したいと思います。

リーガロイヤルホテル

『建築と社会』10月号に拙稿「大阪ロイヤルホテル」が掲載されています。f:id:kirisakokunio:20130823112906j:plain
設計者の吉田五十八は御存知のように近代数寄屋の中心にいた一人です。このホテルの設立に尽力した山本為三郎に請われて、設計を行いました。実業家の山本は民芸のコレクターとして有名で、そのコレクションは現在大山崎山荘美術館に収められています。山本の求めに応じ、民芸を含む伝統意匠をちりばめたのがこのホテルです。吉田の得意とする寝殿造をアレンジした意匠が随所に見られます。また民芸デザインはリーチバーに見ることができます。英国田舎風の意匠です。吉田はいわゆる数寄屋風書院造のみを数寄屋ととらえず、幅広く伝統意匠をアレンジしたものも数寄屋と考えていました。まさにその考えが活かされた建築がこの大阪ロイヤルホテル(リーガロイヤルホテル)なのです。

弘道館茶の湯文化講座「近代茶室と数寄屋」

本日13:00~14:30、弘道館にて講義を行って参りました。
西洋建築が近代建築へとその姿を変えるとき、少なからぬ日本建築の影響がありました。厚い壁、小さな窓、自然と相対する建物は、薄い壁、大きな開口部、自然とかかわりの深い建物へと変貌を遂げました。そこで参照されたものの一つは、日本建築でした。
一方で日本の伝統的な建物も西洋の近代化の影響を受けました。
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宇治にある松殿山荘はまさにその両面を持った建築で、大正末から昭和初期にかけて建築されました。・・・・
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京都市文化観光資源保護財団会報107

京都市文化観光資源保護財団会報107に、拙稿、京の茶室1「桃山の遺響」が掲載されています。
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いずれ財団のページにも内容が掲載されると思いますので、ご笑覧下さい。