建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

北大路魯山人展

北大路魯山人星岡茶寮について、私の研究を引用していただいたとのことです。
千葉市美術館の方からお知らせいただきました)

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魯山人星岡茶寮(さりょう)は、もとは星岡茶寮(ちゃりょう)といって、明治17年、まだまだ多くの人たちは新奇な西洋の文物に目を向けていたとき、伝統文化の復興の為に会員制の社交施設として発足したものでした。なかでも茶の湯がその中心となり、利休堂や二畳台目、一畳台目半板、広間などが設けられていました。