建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

『茶の湯空間の近代』の読み方 その5

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その5

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献(現在のページ)
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第五章 昭和前期の茶室の文献

昭和になると、茶の湯空間への注目度が増す。本章は建築の雑誌の茶室や数寄屋の特集号を中心に論じる部分である。昭和を代表する建築家、堀口捨己吉田五十八なども積極的に意見を述べている。またこの時期、ブルーノ・タウトが来日し、桂離宮を絶賛したことでも知られる。
ちなみに、ここ20~30年ほど前から、タウトの言葉は日本の建築家によって「つくられた」ものとの説が出回るようなった。井上章一氏の論文『つくられた桂離宮神話』で、何度か再版されている。井上氏は批判されたというが、具体的な内容は聞こえてこない。批判するなら、具体的に示す必要があろう。
さて、タウトの言説はつくられたものだろうか。彼の言説を丹念に調べていくと、ドイツ在住時から日本に興味を持っていたが、ドイツでは日本のことがあまり伝わってこないと残念に思っていたそうだ。一方イギリスにはある程度伝わっていて、ウィリアム・モリスらに憧れていたと記されている。また来日前には数寄屋建築にも興味を持っていたと述べる。本章では井上氏の上記論文についても時々参照している。参考にすべきところは多いが、しかし全体の流れは意図的に選んだ文献を使用している。当然見ているはずの文献を無視しているのだ。もっとも本書は趣旨の違う他の論文を糾弾することを目的としたものではないので、脚注に記すにとどめている。丁寧に読んでいただけると、その部分も見えてくると思う。
ついでではあるが、また本書とは直接関係ないが、数年前「山上宗二記にみる茶室」を記した。ここでも、20~30年ほど前から信じられていた中村利則氏の「関白様御座敷二畳敷=待庵の祖形」説に疑問を呈した。中村利則氏の論文も参照にするところが多いが、意図的かどうかは不明だが、おそらく見ているであろう文献を落としている。結果、先の飛躍が大きすぎる説が生まれ、それを論拠に復元?という具体的な作業にまでおよんでいる。
これらはじつは本書の出版社(思文閣出版)とも関わりのあるものだ。このような私に、公正中立な立場で論文を書かせていただいて、感謝するしだいである。
論文には間違いがある(こともある)。本来は完璧であらねばならないが・・・人が書くものであるからやむを得ない部分もあると思う。しかし特に問題なのは、一つの説が呈示され、それが具体的に批判されることなく、繰り返し語られることである。本人に悪気はないかも知れない。しかし周りがそれをはやし立て、いつの間にかそれが常識となってしまう。本人も最初は少し引っかかっていたものが、いつのまにか忘れ去られ、ひとり歩きしてしまうのだ。誰かが批判する役割を負わねばならない。もちろん私の論文(世間にはさほど影響力は無いだろうが・・・)に誤りがあれば、気付いた方は是非お申し出頂きたいし、場合によっては論文で取り上げてご批判頂きたいと思うしだいである。
本書の内容に戻ろう。堀口捨己はいう。「今ここに現代建築の立場で、利休の茶室をとり上げる」と。先の武田の論文は利休に一つの到達点を見るが、その後の時代には興味を示していない。一方、堀口の立場は違う。利休以後の茶の湯空間についても評価が高い。
建築の各雑誌は昭和前期、茶室や数寄屋の特集号を組んでいる。本章ではそれを取り上げている。その概要の一部を記しておこう。

ある雑誌の数寄屋造特集号、本文を読んでいるとこれが数寄屋造?と思うような文章が多数寄せられているものがある。すなわち各建築家たちは、せっせと近代建築について記しているのだ。数寄屋造特集号に、である。そして最後の方に数寄屋造との接点を示す。またグラビアには堀口のモダニズム作品も掲載している。部分を見ただけでは、これが数寄屋造特集号だと誰も気付かない構成だ。またある雑誌の国際建築特集号にはせっせと数寄屋建築のことが記されている。これはブルーノ・タウトに因んだ特集号なので、およそ想像はできる。数寄屋をはじめ日本建築の近代性について多くのページをさいているのである。(あとは本書をお読みください)

『茶の湯空間の近代』の読み方 その4

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その4

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献(現在のページ)
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第四章 大正期の茶室の文献
大正時代、すなわち20世紀初頭、世界の建築の潮流は、どんどん変化していたときであった。その中からいわゆるモダニズムが誕生し、この様式なき様式は、その後しばらく世界の建築を牽引していくことになる。さてその大正時代、日本建築にとっても激動の時代で、明治末頃から活発化した議論、「我国将来の建築を如何にすべきや」に象徴されるように、今後の日本建築についてのあり方がさまざまな方向から検討されていた時代でもあった。
それからもう一つの側面がある。それは建築家の作品というわけではないが、いわゆる数寄者たちが、郊外に山荘風の数寄屋建築を建築するようになっていたのだ。少し立場を違えるが、ハワードによる「明日の田園都市」が明治に邦訳(厳密なものではない、日本の事情がずいぶんと組み込まれた創作とも読める)され、郊外における田園風の生活が称賛された時期でもあった。またこの邦訳には日本においては、都市建築にも田園都市の理想が備わっているとしている。
本章は、日本建築学会の査読論文と、大会発表の論文からなるものである。明治時代に武田の茶室の論文が発表されてから、しばらくの年月がたつが、この大正期後半、再び茶室についての注目の度合いが増加する。当時の建築の雑誌から茶の湯空間にかかわる記事を蒐集すると、それは恐ろしいほど近代建築の論調とかぶっていることに気づかされる。それでは本文の概要の一部について記しておこう。

武田の論文のあと、茶室についての議論は盛んではなかった。しかし大正時代の後半になって、多くの建築家たちが、茶室について議論を始める。それは武田も指摘していたが、茶室の中に近代建築の性格がひそんでいるということであった。すなわち、先に挙げた装飾を省くだとか、左右非相称だとかいう内容である。さらに自然との関わりも問題にする。西芳寺の湘南亭の広縁をベランダと称する人も現れた。言い得て妙である。この時期、自然と人工との関わりは西洋の建築家の大きなテーマであった。一方で日本建築においては人工的な建築内部に自然が取り入れられ、外部空間と内部空間との境に、外でもあり内でもある曖昧な空間が作られていた。茶室の土庇や先の広縁などである。(あとは本書をお読みください)

『茶の湯空間の近代』の読み方 その3

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その3

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献(現在のページ)
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第三章 明治期の茶室の文献
明治期、茶室の研究を行った建築家として武田五一が知られている。しかしこの武田の論文を読めばわかるが、その後堀口捨己や、中村昌生らによって確かな方向付けが行われた茶室研究と比較すると、かなり拙いものであることは否めない。しかし、ここでは方向を変えてこの論文を読んでいる。つまり近代建築の論文としてこれを読むと、非常に面白い。もちろんそのためには若干の茶の湯に対する知識が必要だが、さほど難しい内容ではない。
じつはこの論文、筆者が今をさかのぼること30数年前に記した、大学院修士論文の一部である。じつはその公聴会の時、当時のF教授からケチョンケチョンにされたのがこの論文である。要は、私が用語の使い方を間違ったのである。その時、細部に至るまで、注意して論文を書かねばならない、と肝に銘じたのである。しかし一方で、論文の核心部分に一切触れられないで終わった公聴会でもあった。幸い、部分を修正することでその論文によって修士は頂いたのだが、正直、大変悔しい思いをした。今だとハラスメントなどと叫ぶ人がいても不思議ではない程、私にとって厳しいものであった。核心は間違っていない、と信じつつ、しかし私は研究からしばらく離れることになった。
その後、10年ほどたってから、N名誉教授から論文を書いてみないか、とのお声がけをいただき、相前後し他の論文と一緒に、その部分を抜き出し、修正して日本建築学会の査読論文に投稿し、みごと掲載を勝ち取ったものであった。ちなみに博士論文にはこの論文を加えてはいない。あくまでもその基本は修士論文という認識である。
さて、個人的なに事情についついスペースをさいてしまったが、本章の概要について述べておこう。

武田五一の茶室研究には、南方録視点が強く入っている。この南方録の視点とは、千利休を絶賛し、しかしその後の茶室(南方録では以後の茶の湯そのもの)については評価が極めて低いものである。大きな会所空間から、小さく囲って四畳半が誕生し、さらにそれが無駄を省き、小さくなり、極限の二畳(一畳大目(台目)、客のための一畳、亭主のための一畳)を利休が生みだした。これ以上何があるというのだ?とでも言いたげな、武田の視点はわかりやすい。それ以外に、装飾を削ぎ落とし左右非相称の空間を強調するところなど、近代建築の論文といって良いものである。
さてこの武田の論文はいきなり生まれたものではない。それ以前に記された今泉雄作の視点が大きいとみられる。さらにその後の建築家の茶室への視点に少なからぬ影響を与えたものと考えられるものでもあり、若干大袈裟かも知れないが日本建築の近代化にとって大きな意味を持つ。(あとは本書をお読みください)

『茶の湯空間の近代』の読み方 その2

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その2

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋(現在のページ)
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■ 第二章 公の場所に設置された数寄屋

明治維新を迎えたとき、日本の伝統文化は危機的な状況に陥った。それは単に外国から新しいものが入ってきたというだけではない。パトロンとしてあった大名、寺院、そして旧勢力と関わりの深い商人たちの没落という側面がある。維新以後、多くの伝統文化の没落が見られたが茶の湯そして建築としては茶室や数寄屋もそのうちの一つであった。本章においては、没落した茶の湯がいかにして復興成し得たのか、東京府の公園における社交施設、紅葉館と星岡茶寮にスポットを当て、その建設経緯などを考察したものである。
残念ながら、本章は読んでいてあまり面白い部分ではない。場合によっては飛ばして読んでいただいても結構である。こんなことを筆者が言うのもどうかと思うが、それは事実である。この部分は日本建築学会の論文集および茶の湯文化学会で、研究者としての私が、初期の頃発表した内容について記したものなのでやむを得ない。ただ元の論文はもう少し長い。これでも冗長だと感じる部分を削除しているのだ。
さて、とはいうものの、できれば読んでいただきたいので、概要を記しておこう。

星岡茶寮というと何をイメージするだろうか?多くの人は、昭和初期の北大路魯山人の料理店、星岡茶寮(ほしがおかさりょう)をイメージするのではないだろうか。じつは明治期には「ほしがおかちゃりょう」と読んで、茶の湯を中心とした社交施設なのであった。同様のものとして紅葉館がある。これも金色夜叉の舞台として、料理店のイメージが強いが、元は社交施設、当時の東京府は迎賓館のようなものをイメージしていた、という事実も見えてきた。
これら二つの施設が、東京府の公園に設置されるのだが、従来の公園史の立場からは、公の場所に料理店が建てられた。つまり前近代的だ。というのが主要な論調である。しかし、多少の閉鎖性は認めるものの、誰もが会員になることができ、また見学のできる開放的な施設なのであった。そしてこれらの施設の建設経緯が、東京府の史料から明らかになる。若干の図面が残っているのである。それによると、当初は茶の湯があまり意識されていなかったところ、途中から意識されるようになった。とりわけ筆者は利休堂が設けられるところに着目する。じつは近代における利休は特別な存在だ。それはこのあとの章を見ていただければわかることである。(あとは本書をお読みください。)

『茶の湯空間の近代』の読み方 その1

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その1

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要(現在のページ)
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

■第一章 茶の湯空間の近代、その概要

第一章は茶の湯空間についての概要を記した部分である。本書は学術書であり、本来はその分野全体を見わたす概要などというものは不要であるかも知れない。しかし茶の湯空間の研究者は極めて少ない。また日本建築史あるいは近代建築史を専門とする研究者においても茶の湯空間について理解している人は極めて少ないと感じている。
そのような現実を踏まえ、筆者は出版社に次のような話をした。私の専門分野についての書籍、一体誰が読むのでしょうか。この本をしっかりと評価あるいは批判できる人はいるのでしょうか、と。出版社の方は少々困った顔をされたが、幸いにも日本学術振興会から科研費を頂いて執筆することが決まった。少なくとも日本学術振興会において評価されたということで、私の分野を理解あるいは批判できる人がいるんだと、少し胸をなで下ろした。

じつはこのような事態は、ここ20年ほどのことだと思われる。本書にも一部扱っているが、昭和から平成のはじめの頃までは、建築史研究者はもとより建築家たちにおいても、茶の湯空間についての知識は常識の範囲内であって、多くの方々がそれについて侃侃諤諤と意見をたたかわしてきた。なぜか近年極端に減少したのである。
一方で近代建築は空前のブームである。しかし茶室を熱く語っていた建築家の作品を茶室について知らない人が論じる。あるいは具体的な茶の湯空間が備わった民家調査を、茶の湯空間を御存知でない研究者や建築士の方が携わる、といった事態が生じているようだ。それは全国各地で行われた近代和風の調査に一部顕れている。茶室がどう見ても無視されているところがある。もちろん、それは一部であり、若い人たちはそうではないようにも思う。
さて、そのような経緯もあり、本書では概要からはじめた。本章の内容はさほど難しくは無いはずである。一端を紹介しよう。

西洋人たちは茶を求めてインドから東南アジア、中国、そして日本にやって来た。もちろん茶だけではないが、紅茶は一部の貴族たちから一般市民に拡がりをみせ、大量に消費される時代になってきたのである。彼らが日本にやってくる時代、それは19世紀半ばであるが、それは建築にとっても画期を迎えた時期であった。産業革命によって新しい材料が大量生産され、それに対応できるデザインを模索しはじめたときであった。具体的にいうと、それまでのヴォリュームのある石材に代わって細い鉄が使用されるようになる。この鉄に向いた意匠を模索していたのだ。日本は木造建築が発達していたが、とりわけ茶の湯空間に代表されるように、ことさら細い材料を使用していた。彼らが注目しないわけがない。
「茶」と「木」、茶の湯空間が西洋人たちに注目される素地はととのったのである。
(上記はこの概要の一部の概要です。あとは、本書をお読み下さい。)

『茶の湯空間の近代』の読み方 その0

桐浴邦夫著『茶の湯空間の近代』の読み方 その0

本書は、学術書です。ただ同分野を研究あるいは知識をお持ちの方は、少ないようです。しかし筆者は、これが近代建築史において重要であると考え、出版いたしました。本ブログでは、数回に分けて、「『茶の湯空間の近代』の読み方」を記していきたいと思います。

その0 思文閣出版Webページより(現在のページ)
その1 第一章 茶の湯空間の近代、その概要
その2 第二章 公の場所に設置された数寄屋
その3 第三章 明治期の茶室の文献
その4 第四章 大正期の茶室の文献
その5 第五章 昭和前期の茶室の文献
その6 第六章 近代の安土桃山イメージ
その7 第七章 高谷宗範と松殿山荘

以下、思文閣出版Webページより

■内容
 高度な技術と類まれな空間構成と意匠をもつ数寄屋建築は、近代において世界から高い注目を集めるようになった。一方で国内において、近代の茶の湯空間についての研究は、建築史においても茶の湯研究においても主流とはならず、場合によっては否定的な見方さえされてきた。
本書は、近代数寄屋建築の数少ない専門家である著者が、茶の湯の系譜を考慮しつつ、「茶の湯空間」が近代においてどのように理解されてきたのかを読み解く試みである。近年、国内においても伝統建築の保存や活用についての関心が高まっている状況において、近代和風建築関連の諸研究の発展に寄与せんとするものである。

■担当編集より
 表紙の建物は、建造物としては京都府で299件目の重要文化財に指定される予定の松殿山荘です。「心は円なるを要す、行いは正なるを要す」という考えのもと、窓枠や天井など随所に方形と円を組み合わせた形が見られます。このような近代和風建築の不思議な和洋折衷空間は人々を魅了してきましたが、じつはこれらについての研究は意外にも少ないという事実があります。この本を契機にさらなる議論に発展することを祈っております。

■目次
はじめに

第一章 茶の湯空間の近代、その概要
 第一節 世界の視点・近代の視点からの茶の湯空間
 第二節 近代以前の茶の湯空間とその影響
 第三節 西洋文化の受容と茶室
 第四節 ジェントルマン・アーキテクトとプロフェッショナル・アーキテクト

第二章 公の場所に設置された数寄屋
 第一節 冬の時代に誕生した茶の湯空間
 第二節 明治初期の東京の公園と社交施設
 第三節 芝公園と紅葉館
 第四節 麴町公園と星岡茶寮

第三章 明治期の茶室の文献
 第一節 明治期の茶室と茶の湯の文献
 第二節 今泉雄作「茶室考」
 第三節 本多錦吉郎『茶室構造法』
 第四節 武田五一の茶室研究
 第五節 好古類纂・桂離宮と茶室

第四章 大正期の茶室の文献
 第一節 大正期の雑誌にみる茶室
 第二節 田園都市と田舎家と茶室

第五章 昭和前期の茶室の文献
 第一節 近代建築による茶の湯空間の再発見
 第二節 「茶室と茶庭」特集号
 第三節 「日本建築再検・数寄屋造」特集号
 第四節 「近代数寄屋建築」特集号
 第五節 「茶室建築」特集号

第六章 近代の安土桃山イメージ
 第一節 猿面茶室と愛知県博覧会
 第二節 豊臣秀吉と近代の茶室
 第三節 近代の利休イメージと茶室

第七章 高谷宗範と松殿山荘
 第一節 高谷宗範の建築活動
 第二節 芝川邸をめぐって
 第三節 松殿山荘

初出一覧
あとがき
索引

伝統建築工匠の技がユネスコ無形文化遺産への提案候補へ

「伝統建築工匠の技:木造建造物を受け継ぐための伝統技術」が本年度のユネスコ無形文化遺産(人類の無形文化遺産の代表的な一覧表)への提案候補として選定されました。
www.bunka.go.jp

私も末席に加えていただいている伝統木造技術文化遺産準備会「伝統構法をユネスコ無形文化遺産に」のwebページより
dentoh-isan.jp
署名など、ご協力頂いた皆さんに、感謝申し上げます。

『茶の湯空間の近代』刊行されました

拙著『茶の湯空間の近代』が、平成29年度科学研究費助成事業「学術図書」の交付を受け、思文閣出版より刊行されました。

内容は、これまでの論考のうち近代にかかわる部分をまとめ、一部関連の考察を加えたものです。

修士課程を出てからしばらくブランクがありましたが、10年程のち、偶然ですが一つの論文をまとめることになり、その後いくつかの論文を書くことができました。
そのうちの一つは、修士論文で扱った武田五一の茶室研究についてのことです。じつは修士公聴会ではボロボロだったのですが、基本内容は間違っていないと確信し、その十数年のちに少しだけ手を加え、黄表紙(日本建築学会論文集)に投稿し、採用されました。
今回はそれも含め、近代茶の湯空間のいくつかの側面について考察したものです。
今回は単著でありますが、もちろんさまざまな皆さまにご指導、ご協力賜りました。
中村昌生先生には、さほど出来が良かったわけでもない私を長く見守っていただき、折々にアドバイスを頂きました。特に「行間を読め」という言葉は、ずいぶん役に立ったように思います。論文は理詰めで記していくものであることは言を俟たないわけで、私自身もそのように努めています。しかし人の書くものであるかぎりは、いわゆる「行間」があります。他人のエッセイのみならず論文を読んだとき、その「行間」が見えてきたとき、「しめた」と思います。文字で記されていないそこからの拡がりを受け取ることができるからです。(このあたりのことも、「行間」に封じておいた方が良いのかも知れませんが)
そして鈴木博之先生には博士論文で大変お世話になりました。提出前に何度か研究室におじゃまし、さまざまなお話しをお伺いすることができたのは、論文を審査していただいたのと同様に(以上に?)私にとって大きな収穫でした。ジェントルマン・アーキテクトのこと、松殿山荘のことなどは今回の著作に生かすことができました。もっといろいろなことをお聞きしたいと思っていたのですが、短い間の師事となり残念です。
松殿山荘茶道会や千島土地株式会社、博物館明治村、その他多くの団体や機関に、調査に協力いただきました。感謝申し上げます。

なお、今後、もう少し近代のことをすすめることと、以前から扱ってきた近世(桃山・江戸)のことについて、これも後もう少し付け加え、まとめていきたいと思っています。
皆さまには、今後ともご指導ご鞭撻いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

『茶の湯空間の近代』第3報
『茶の湯空間の近代』第2報
『茶の湯空間の近代』第1報

www.shibunkaku.co.jp
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『茶の湯空間の近代』第3報

今回の本は、近代の茶室や数寄屋研究の一つのたたき台としてつくりました。
というのも、この分野の研究者は非常に少なく、まだまだ十分に研究されていないからです。

一方、近代建築が次々に姿を消していきます。やむを得ぬものもあろうかと思いますが、可能なものは残していきたいものですね。
我々にできることは、その価値をしっかり発信すること。それはその建築、そしてその建築が建てられた経緯やその背景や周辺などのことについて多面的に発信することです。
一般の近代建築については、比較的多くの情報が発信されています。しかし近代和風についてはまだまだと言わねばなりません。
それでも町家や民家などは研究者も多いのですが、茶の湯空間についてはかなり厳しい状況です。研究者が少ないのです。
具体的な事例を挙げるならば、全国で近代和風の調査が行われその報告書が出版されていますが、地域によっては例えば平面図に茶室が3つもあるのに解説では一切触れられていない、というところがあります。何らかの事情があるのかも知れませんが、もしその著者がその知識をお持ちでないとするならば、かなり「痛い」ことです。
現実として、残念ながら建築史の専門家の中にも、そして伝統建築の保存活用にかかわっている人の中にも御存知ない方が多数いらっしゃいます。
じつは茶の湯空間をみるには少々知識が必要です。しかしそんなに複雑なことではありません。少し関連の本を読めばわかることなのです。研究者ならずとも興味がある方ならば基本的な理解は難しくはありません。
そして研究者の立場としては、歴史的な大きな流れやその周辺のことをお示しし、その価値を多くの人に理解していただけるよう、そしてその建築が後世に伝えられるように、その環境を整える必要を強く感じています。

日本の宝(近代の建築家からは、世界の宝、とも)と言っても良い建築が、数寄屋建築には存在します。残念ながら、ほとんど知られないまま、きちんと評価されないまま、みすみす「なかったもの」として扱われるのはあまりにも忍びないと思います。
本書は、そのような状況の改善に少しでも貢献できればと思い、記したものです。
多くの方々に加わっていただき、この分野の更なる発展を期待したいと思います。

『茶の湯空間の近代』第2報
『茶の湯空間の近代』第1報
www.shibunkaku.co.jp

『茶の湯空間の近代』第2報

『茶の湯空間の近代』1月刊行予定 - 建築 と 茶の湯 の間の第2報です。

本書は、近代における「茶の湯空間」のさまざまな側面についての論考です。
しかし、茶室や数寄屋の研究者が極端に少ないことを考慮し、わかりやすく概要も掲載しています。
各論についてもなるべくわかりやすく書いたつもりです。
内容を一部紹介しましょう。

  • 意外に思われるかも知れませんが、ブルーノ・タウトは、来日以前から数寄屋建築に興味を持っていて、さらに言うと少年時代から日本建築に興味を持っていたと述べています。(著名なI氏の論考では、それに関する部分はなぜか触れられていません。)
  • つまり茶室や数寄屋は、近代において西洋から大きく注目されていた建築だということができます。
  • 一方、日本においても、武田五一は新しい建築の動向を千利休の中に見出していました。
  • また堀口捨己の茶室研究は、過去のものではなく、現代建築としてみていたのです。