建築 と 茶の湯 の間

桐浴邦夫(KIRISAKO Kunio)の備忘録 茶室・数寄屋・茶の湯・ヘリテージマネージャーのことなど

The 3rd Ocha Zanmai International Conference

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 photo by Dr. Mohammad Salama, San Francisco State University
米国での国際会議で講演を行いました。
かねてよりお知らせしていましたように、5月1日、サンフランシスコ州立大学にて行われた茶の湯の国際会議「3rd Ocha Zanmai International Conference」にて、「山上宗二記と桃山の茶室」と題して特別講演を行いました。
会場には在サンフランシスコ総領事をはじめ、日本文化や茶の湯に関心のある学者の方々、当地での茶の湯の実践者など、多数の皆様のご来場がありました。
内容は、西洋近代と日本文化との関わりをプロローグとしてお話をし、その大きな源となった桃山時代の茶室について、千利休を中心に山上宗二記記載の茶室図面、洛中洛外図を参考に、スピーチいたしました。
レジュメを御覧になりたい方は、こちらから
参考ページ:k-soho.hatenablog.com

建築学会近畿支部建築論部会コメンテーター

日本建築学会近畿支部建築論部会において開催された講演会、近藤康子氏「近代建築家の茶室論にみる茶の湯の生活空間に関する研究」のコメンテーターを務めました。
近年の建築学会においては、茶室に関しての研究発表は必ずしも多くない状況でした。じつは昭和時代、多くの建築家や建築研究者が茶室に興味を持ち、さまざまな角度から研究が行われていました。溯ると明治期の武田五一の茶室研究に行き当たるのですが、明治においてはまだまだ盛んではありませんでした。大正期に徐々に拡がりをみせますが、大きな展開は昭和になってからです。昭和における活発な研究の端緒を開いた人物が堀口捨己。近藤氏の論文は、その堀口に建築論の立場でスポットを当てた研究です。建築研究史的な視点においても将来大きな意義を持つものと思われます。今回の講演会では多くの研究者の方々が聴講され、とりわけ若い方々も多くいたように思います。再びこの分野の研究が活発になることが予兆された講演会であったと思います。

再読関西近代建築「茶室建築特集号」

拙稿が『建築と社会』2016.03に掲載されました。
『建築と社会』誌、昭和10年10月号は茶室建築特集号で、これについて解説したものです。

http://www.aaj.or.jp/wp/wp-content/uploads/201603con.pdf
昭和初期において茶室への注目度は非常に高いものでした。各建築の雑誌においてこの時期、茶室や数寄屋の特集が組まれました。本稿は『建築と社会』誌における茶室特集がどのようなものであったのか、その重要な視点は何か、ということについて考察したものです。

弘道館での講座 茶の湯の文化を識る

本日は有斐斎弘道館にて、「近代数寄屋の一側面「あさが来た」「マッサン」そして「ごちそうさん」を繋ぐもの」と題するお話をして参りました。
松殿山荘とそれをつくったジェントルマンアーキテクト高谷宗範について、その特殊な数寄屋建築が生まれる背景を、NHKの朝の番組を通して説明しました。
よけいに複雑になってしまったかもしれませんが、親しみも持っていただけたかなと思います。
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「あさが来た」の主人公の姉はつの嫁ぎ先山王寺屋、史実としては天王寺屋(大阪今橋)の屋敷の一部が松殿山荘に移築されています。

講演会 高谷宗範 「茶室と庭園」 をめぐって 11/23

11/23、松殿山荘にて「高谷宗範『茶室と庭園』をめぐって」と題して、講演いたしました。
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先般の建築学会での発表を、一般向けにした内容を中心に、今話題の大阪今橋の天王寺屋(朝ドラ「あさが来た」の山王寺屋)から移築した座敷についてもお話ししました。これは昨年から京都府建築士会の皆さまに協力いただいて行っている調査によって、少しわかってきた内容も含まれています。
ちなみに昨年の朝ドラ「マッサン」でニッカウヰスキーに出資した芝川又四郎(ドラマでは野々村さん)の甲東園の屋敷、和館の一部を高谷宗範が設計しています。そして洋館(現明治村に移築)は武田五一(一昨年の朝ドラ「ごちそうさん」の竹元教授)の設計です。またこの松殿山荘と芝川邸にはいろいろ共通点があります。そんなお話をして参りました。shoudensansou.wix.com

The 3rd Ocha Zanmai Conference のお知らせ

2016年5月1日、San Francisco State UniversityにおいてThe 3rd Ocha Zanmai Conferenceが開催されます。
私も特別講演で"Tea Rooms in Momoyama Era (late 16th century) and Yamanoue no Soji ki(山上宗二記と桃山の茶室)"と題して、お話しする予定です。

Guest Lectures 特別講演
Mr. Seiwemon Onishi, "Cha-no-yu-Kama: Beauty and Appreciation"
大西清右衛門氏 (千家十職釜師) 茶の湯の釜の美と鑑賞」
Dr. Kunio Kirisako, "Tea Rooms in Momoyama Era (late 16th century) and Yamanoue no Soji ki"
桐浴邦夫博士 (建築史家)「山上宗二記と桃山の茶室」
(San Francisco State University HPより)

内容は、利休をはじめとする桃山時代の茶室の概要ですが、一部、近年の研究の成果を含んだもの(*1*2)とする予定です。

高谷宗範『茶室と庭園』をめぐって

建築学会大会において「高谷宗範『茶室と庭園』をめぐって」と題して発表して参りました。
これまでも高谷宗範と松殿山荘に関して、連続して発表してきましたが、今回は昭和2年に刊行された『茶道の主義綱領 茶室と庭園』(恩賜京都博物館での講演録)に関して取り上げました。
内容は、いずれ公開されるCiNii Articles 検索 -  桐浴邦夫などでお読みいただければと思いますが、概要を記しておきたいと思います。
高谷宗範はいわゆるジェントルマンアーキテクトであって、職業としてではありませんが、建築に関する知識や時代の動向の把握はかなり高いレベルであったといえます。最初は茶の湯の趣味から発展したものだと考えられます。やがて数寄者仲間の邸宅の設計も手がけるようになり、幾つかの図面も遺っています。その一つに芝川又右衛門邸があります。明治44年に武田五一が洋館を設計するのですが、その和館や芝川家の茶室の移築などに関わっていました。また藤井厚二が竹中工務店時代に屋敷を設計した村山龍平とは茶の湯の仲間でした。
宗範の『茶室と庭園』をみていくと、建築に関して、住居史的視点、環境工学的視点、そして様式の問題を意識していたことがわかります。とりわけ様式の問題は当時の建築界にとって大きな課題であったものです。大正頃の建築を「目下試験中の過渡期」などと記していました。そういったことはおそらく武田や藤井らから、直接あるいは間接的に知り得たものであろうと考えられます。
梗概集には載せていませんが、9/4発表時に使用した図をご覧下さい。

大正4年 京都商工会議所計画案 武田五一(作品集より)

大正15年 松殿山荘中玄関 高谷宗範
宗範は自らの考えに基づいて建築設計を行っていたのですが、おそらく武田や藤井らからの影響も少なからずあったものと考えられます。
その意味で松殿山荘は、宗範の個人の趣味というより、むしろ数寄屋建築の近代化という大きな問題に立ち向かった宗範の、壮大な実験住宅ではなかったのでしょうか。

聴竹居(大山崎) と 松殿山荘(木幡)
大正末から昭和初期、巨椋池を挟んで西と東に、それぞれ藤井と宗範が実験住宅を構えました。

ニッポンが誇る「モダニズム建築」

Casa BRUTUS特別編集 ニッポンが誇る「モダニズム建築」にsupervisorとして協力いたしました。(2009年4月号が他の特集を加えて再版されました)
http://magazineworld.jp/books/paper/5028/

「日本モダニズム7人の巨匠」特集のうち、吉田五十八村野藤吾堀口捨己らの和風への関わりについての部分です。特に数寄屋をどのように捉えたか、近代化しようとしたのか、ということに着目したものです。
k-soho.hatenablog.com